ご先祖様は大悪人!?

私の出生地は愛知県碧南市源氏町というところで、長田(おさだ)の姓が多いところです。

碧南市の長田家のルーツは、鎌倉幕府を興した源頼朝の父源義朝を暗殺した長田忠致の兄長田親致が今の碧南市に逃げ居着いたと言われています。

古くは桓武天皇の血を引くと言われる長田家ですが、なんといっても有名なのは風呂に入って丸腰の源義朝を暗殺した天下の不忠義者 長田忠致・景致親子です。そんな極悪非道なご先祖様(の弟)のご無礼を詫びるべく事件のあった旧暦の1月3日(2月11日)、その舞台となった尾張国野間(現在の知多郡美浜町野間)を訪れてみました。

いざ、野間大坊へ・・・

野間大坊 大御堂寺 山門 1190年建立

「野間大坊(のま だいぼう)は、愛知県知多郡美浜町にある真言宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。山号は鶴林山。詳しくは鶴林山無量寿院大御堂寺(かくりんざん むりょうじゅいん おおみどうじ)と称し、宗教法人としての公称は「大御堂寺」である。寺がある美浜町野間は源義朝の最期の地であり、境内には義朝の墓がある。」Wikipediaより引用

週末でしたが早朝で寒かったので人もまばら・・・暗殺事件当時もこんな寒い日だったと伝えられてます。

まずは大御堂寺にお参りし・・・

大御堂寺
大御堂寺

いよいよ義朝公の墓前へ・・・

お墓は大御堂の横というか奥の方で、鬱蒼とした木々に囲まれてちょっと薄暗くお墓の底から何か出て来たらこの門しか逃げ場がないのでちょっとヤバい感じです(^_^;

入り口にはこんな案内と共に小太刀を模した木のお札みたいなのがが500円で販売されていました。この木立に願いを書いてお供えすると願いが叶うらしいのですが、長田の姓を書いた願いなんか絶対にかなえてくれそうもないのでお賽銭で勘弁してもらおうかと思います。

「ご先祖様(の弟)がごめんなさい」と心で詫びながらいよいよ門をくぐり墓前へ

源義朝公の墓

お供えされている小太刀が一斉にこちらに飛んでくるんではないかと少しビビりましたが、流石に900年近く経って怨念も薄れていたのか供養されて極楽浄土に旅立たれたのかは解りませんが何事もなく一安心
墓前でしっかりとご先祖様(の弟)のご無礼を詫びてまいりました(^_^;

源義朝公のお墓の周りには家人で一緒に暗殺されたといわれる鎌田政家の墓や、賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に破れその後この地で自害した織田信孝お墓、平清盛の継母 池禅尼の供養塔などもあり、こんな愛知の片田舎ながら壮大な歴史のロマンを感じさせられる場所です。

鎌田政家と妻の墓

 

織田信長の三男 織田信孝の墓

 

池禅尼の供養塔

心配していた祟りもないようだし、ここらへんで一安心

学生時代自称藤原氏の末裔という日本史の先生が大嫌いで日本史はちんぷんかんぷんでしたが、最近は大河ドラマを始め歴史物のTV番組を観ることが多く少しは日本史も少しは理解できる様になってきたので、

「この地でこんな事があったんだ」

ちょっとだけテンションが上がってきましたので、調子にのって境内を散策してみたいと思います。

義朝公の首を洗った血の池

国に変事が起こると池の水が赤くなると言われている血の池
残念ながら赤いどころか水も張られてませんでした。

必ず願いが叶う「開運延命地蔵菩薩」が祀られている客殿

豊臣秀吉の晩年の居城「伏見桃山城」の一部を移築した客殿には源頼朝が幼少より拝んでいた「開運延命地蔵菩薩」がまつられていて、この地蔵尊の御利益により鎌倉幕府を成立させた事により願いが叶うと言われているそうです。

重要文化財 鎌倉5代将軍「藤原頼継」寄進の梵鐘

尾張地方最古の鐘として国の重要文化財にも指定されている梵鐘が掲げられている鐘楼堂

他にもこんな感じで境内には鎌倉時代からの歴史的な物が沢山で結構見応えがあります。

そんな境内で衝撃の案内図発見!

野間大坊だけでなく地元の小学生が野間地区の見所を書いた案内看板の様ですが、野間大坊の近くにある「はりつけの松」の説明にはこんな記述が・・・

いくら平家に寝返って暗殺をはたらいたといえ、ご先祖様(の弟)親子は現代の小学生に酷い言われようです(T_T)

暗殺された義朝だって、権力争いの末対立した実の親兄弟を粛正した過去もあるのですが、忠臣蔵も同じく史実と伝承というのは勝者の歴史によって伝えられていってしまうものなのですね・・・

主君を裏切った大悪人 長田親子はりつけの松

長田屋敷跡地のすぐ近く小高い山の中腹にその松はありました。

今は枯れてしまって根元を残すのみですが、ねじ曲がっているというか樹皮があると解らないんですが松の木の繊維ってこういう風に螺旋になるんですよね(^_^;、

しかし、はりつけの松の前のベンチは何のためにあるんだろうか?

長田忠致辞世の句碑

はりつけの松の裏にはこんな句碑が建てられています。

「ながらえし命ばかりは壱岐守(生きのもり) 美濃尾張(身の終わり)をばいまぞたまわり」

こんな上手い句を辞世で詠める訳もなく、平治物語を語り継ぐ琵琶法師とかが創作したものだとは思いますが、長田親子の最後も諸説あってここではりつけにされたというのも「裏切り者には大き罰があたる」という教訓の為に創作されたものだと思います。

というか、そうあってほしいです(^_^;

いよいよ犯行現場へ

野間大坊から1kmと少し東へ行った所に犯行現場といわれる湯殿跡があります。

源義朝公之像

昔はここで温泉が湧いていたんでしょうか

この場で入浴中に長田家の家臣に襲われたそうですが、2012年松山ケンイチ主演の大河ドラマ「平清盛」では逃げ延びて頼った長田忠致が平氏と通じている事を知り逃げ切れないと観念し自害したというシナリオでした。

最近の歴史研究ではこういった昔からの言い伝えや物語を再検証すると意外な実が発覚するという事が多いのですが、後の征夷大将軍「源頼朝」の父親が敗走の上自害では格好悪いので長田親子を天下の悪者に仕立て上げ入浴中に襲われた事にしたというのが案外事実なのかもしれません。

たびのまとめ

ご先祖様(の弟親子)は現在の知多郡美浜町ではずいぶんな嫌われ者でした。
自分の縁の者が何百年間も前にこの地で事件を起こしたという史跡があるのは悪い気はしませんが、人を裏切ると未来永劫「悪人」として語り継がれ、900年たっても小学生に「根性がまがってる」と言われてしまうので人を裏切る事だけはやめましょう!

おまけ

野間大坊ではお庫裏さんのそば打ち好きが興じて境内にそば茶屋があります。

メニューは、そば(かけ・ざる)500円と甘味

八ヶ岳産のそば粉を使った2-8の本格的な手打ちそばは美味でした。
このそばを食べるためだけに野間大坊に行くのも良いくらいです。